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ある随筆から n.nakamura 投稿日:2013年09月05日 20:41
がお疲れ様です。
この前の投稿は少し難しすぎたかもしれません。しかしながら、釣れたことばかりの掲示板では興味が途切れてしまいますので、釣りに限定せず、このホームページでしか知ることの出来ない皆さんの地域の情報や、時々は皆さんが今まで生きてこられた体験の中から、感動を貰えたり今後の生きる参考になったりするような選りすぐりの内容の投稿を頂ければ、このホームページが大変素晴らしいものになると思います。いかがでしょうか。漁師の掲示板で終わらせたくないですからねえ
さて、この前読んだ本の中から、考えさせられる一節があったので紹介します。
作者は、根岸治美さんという1923年生まれの方で、もう亡くなっておられると思いますが、私の所属する日本渓流釣連盟の会員であり、渓流釣に関する随筆を多数出版されている方です。岩魚の四季という題名で書かれたのもですが、その一節は次のようなものです。

 多くの釣り人は、釣技を競い、釣果の夥多(かた)に腐心する。さらには、釣り行きの内容を充実させようと考える。
 私も若い頃はそういう体験をした。忙しい日常をさき、獲物を求めて山奥までやってくるのだから、当然、合理的なものの考え方になるであろう。
 古代より文明のみなもとは、人間が自然に対する挑戦にはじまった。天の火を盗り、魚やけものを殺すことによって、古代人の文明はひらけてきた。こうしたことは、遠い伝承のことのように思われるが、人々は本能的に所作を継承し、生き永らえてきたのである。
 ところが、そうしたことは承知の上で、いまの私は、岩魚を釣る期待や行為と相容れぬ小さな殺生戒の意識にさいなまれている。
 魚は腹中に納めれば成仏する、と言ってしまえばそれまでであろうが、その行為に、釣り師の業を私は感じる。黒いつぶら瞳(め)の眸(ひとみ)の奥に湛(たた)える岩魚の泪を想う心も、年と共につのるのである。
 釣り人の情念へのたたかいとして、くらい自然の沈黙の中に、どれだけ多くの無心をはらませることができるであろうか。途方もなく長い時間をかけて沈黙を守ってきた原生の渓流の奥に、人間存在の豊かさをうち立てることのできるのはいつの日であろういか。
 私は自然のせつなき沈黙に心うたれて、しきりにそうした祈りの世界が思われてならない。
 わが煩悩の心よ、岩魚になれ! 樹木になれ! 煙になれ!

解りやすく一言で解説すれば、釣りをやめやれないなら無益な殺生はするなと言うことですね。釣りのクラブの掲示板でこの内容はどうかと思いましたが、前述の通り、漁師の掲示板にしたくないとの思いの投稿ですのでご了解ください。




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